12月24日(火)

NO,093 (ギャレーヂ店主はこんな奴 その1)

 


 
ゴルフギャレーヂの店主 中井悦夫です
ありきたりですが 生年月日は昭和29年8月 地元大阪の中学、高校(公立)から昭和48年に大阪府茨木市にある追手門学院大学経済学部に入学 一年余分にドイツ語だけ勉強して53年に卒業 在校中は体育会ゴルフ部に在籍 その間目立った試合戦績は無く専ら裏方幹部までの4年間をのんびりと過ごしていました。 他の大学では日大の藤木三郎選手や年齢では中嶋常幸氏が 少し若いところで倉本氏 湯原氏、羽川氏達がブリブリ活躍していた年代です かと言って勉学に勤しむどころか5年目に突入の学生生活で学費くらいは自分で稼ごうと最後の一年間に行った先の様々なゴルフ屋さんで 貴重な内容のアルバイトに(波乱万丈も有って詳しくは記しませんが)身を染めたのがこの業界に首を突っ込む始まりであったのです 時は第一次オイルショックの直後で景気が良くありません ところがあるショップで当時の時給がなんと¥1000円!何をするわけで無く たまに客へクラブ購入のアドバイスをして 近くの練習場やショートコースに同伴しスウィングチェックをする(その当時はその辺のオジサンよりは上手かった筈でした) 店としてはサービスのチョッとした気配りが結構客には受けていた様子で社長にも気に入られておりました ところが凄くアテにした第一回目の給料日を前に会社が倒産 生憎社長は自殺に追い込まれ高時給の仕事もその後はパーとなって“泡銭”とはよく言ったもので全く時間の浪費でした。 その後堅実なゴルフ関連先を尋ね探し求めてある時球を打たせて貰いながらの打球練習場でアルバイトを思いつき とある練習場に足を運び その場は断られて帰る間際に偶然球を打っていた目の前の人!再会したこの人が卒業後、足掛け8年お世話になる事となった卸会社の支店長 W氏であったのです。(以前の倒産した会社と取引をしていたので顔は知っていた) 運命的な出会いに話しをしていてW氏が中学の先輩、W氏の母校が親父の後輩、実家は近所同士、アルバイトを大阪支店(ゴルフ問屋)で探している。もう他にありません 即日採用です セミレギュラーで決定し あぶれる日のツナギにはもう一軒 やはりゴルフ屋さん(真面目な店員業)を見つけ アルバイトは学生期間潤沢にこなしやっとの思いで卒業近くなりました。アルバイトから続きに本就職しないかとW氏に誘われましたが 私の親父が当時チッポケな会社を営んでおりました関係でその道(化成品関係)のちょっとした企業へコネ入社が内定 ところが送別会の席で「違う道を行きます じゃあ!」と言ってから三ヶ月目!配属された部署も肌に合わず これから自分で一生の仕事だと考えられずに「退職届」 その日の内にあの “甘い汁を吸った一年間”が どうしても忘れられずW氏が取り仕切る例の卸し会社に入社を願ったのです。 卸し問屋とは言え新入社員の頃からデパートの派遣売り子 量販店の応援 商談から納品、撤収や地方への営業 新規の開拓やそれはそれは様々で商売の“イロハ”を教えて頂いて今日の自分を育てていただけた思いがします。
八年経って東京転勤を命ぜられた時 親父の闘病看護と長男の責務から退職を決意 直ぐ以前に学生の頃 “真面目な店員”でアルバイトさせて頂いていた大阪市内で転勤の無い“パパ・ママショップ”に転職 丁稚時代パートUを迎えるのです。
 その間は具体的に店頭で対面販売の難しさ、専門職の拘り、価格訴求の是正、これからショップ店員に足らない部分 何が必要で何を習得しどのようなショップ形態が良いのか?今までの無理・無駄なスタンスを止めて 今から自らが理想型とするショップの展開方法に模索する2年間でした。
やがて親父の不幸もあり何時かは自分の店を持つ事を夢として一から勉強のつもりで 「石の上にも十年 今かな?いいのかな?」と独立を決意する時がやって来たと感じている時でありました
                              その2へ続く